コラム No.4 萌え燃え

萌えという言葉が一般化して、けっこうな時間が経つが、僕はほんの一時的にだが萌え文化に足を突っ込んだことがある。

萌えフィギュア全盛期だった頃、大型量販店の玩具コーナーにズラリと並べられていた。かなりのクオリティで、ちょっと興味を持ったものの彼女と同棲していた頃はさすがに購入するのは遠慮していた。その彼女と別れた時に、遠慮する相手もいないので購入し出したのだ。作品を知っている知らないにあまりこだわらず、出来がいいモノを適当に購入した。

残念ながら部屋が飾れるスペースもないゴミ屋敷と化していたので、大半は箱から出さずに積んだままだった。今思えば、あれは萌えがどうというより彼女がいなくなったフリーダムを謳歌したいという心の表れだったんじゃないかと思う。3年くらいの間、適当にフィギュアを買い集めたりしていたが、新たに彼女ができて部屋の片付けをしろと命令されたときに、ほとんど全てを売り払ってしまった。

萌えアニメの方はちょっとだけ見た。ハルヒ、らき☆すた、けいおんなど。これらはすべて友達から教えてもらった。数多く見てないから語れる事はほとんどないが、萌え系アニメって似たようなキャラばっかりだと思うのだが。ある作品が終了しても、新しく始まった別作品にほぼ同じようなキャラが出てくる。

勝手に結論付けてしまうが、萌え要素ってのは可愛いと思えるポイントの単なるアイコンでしかないんじゃないか。要素が散りばめらているとか隠されているではなく、分かりやすく置いてあるのが萌えという存在。むき出しで簡単に分類可能なので、新規参入者もイメージしやすいだろう。

単純化された要素に出されるがままに食いついているだけ、というのはオタの存在意義としてどうなのかと思う。オタというのは食い物や着るものについては、それこそ食えればいい、着れればいいくらいもので済ませてしまうけど、好きなものについてはミリ単位でこだわる生き物ではないのかと。萌えアニメそのものよりも、萌えキャラのあんな単純な色分けを嬉々として受け入れている萌え好きのオタに対して軽く嫌悪感を抱いてしまう。オタとしていささか薄っぺらいとは思わないか、と。そう思ってしまうと、僕は萌えという流れに乗り切れなかった。

他方、燃え要素はラーメンの表面に浮いている脂などとは違う。まさに、散りばめられた要素、隠し味だ。一般的な定義は知らないが、僕的には主に演出として表現される類のものだ。戦闘メカ系なら、大口径砲を撃った際の砲身や本体が後退する動き、アフターバーナーのような噴射炎、航空機の航跡雲、直撃弾を装甲が弾いた際の火花など。車なら、タイヤスモークや赤熱するブレーキディスク。他にもサスペンションの沈み込み、カメラアイのレンズの絞り込み、砲身を移動させる際のモーター音、ジェットエンジン系の始動シークエンス、エンジン音といった類だ。人物描写では、鮮やかな手並みで機械や道具を扱ったり、危機的状況でも落ち着いて対処できる余裕っぷり、ダメージを負いつつも果敢に敵に立ち向かう姿、等だろう。

大きくまとめてしまうと、機械や兵器の能力のみならず重力やエネルギー、精神的なものも含めて、大きな力を鮮やかに意のままにコントロールしている姿こそが燃える要素だと思う。こういった演出はハリウッド映画はうまい。金があるからふんだんに演出を盛り込めるのかもしれないが、そもそも何が格好良いのかをあいつらは解っている。邦画はそういった燃え要素をおそらく理解はできているだろうけど表現しきれていないという印象を受ける。やってみても、ちょっとずれていたり。

邦画に関しては今の所至極残念な状況ではあるが、日本アニメにはそういった演出に力を入れた作品も出てきているので、大いに燃え要素を練りこんでいって欲しいと期待する。燃え要素はその映像を語るどんな言葉よりも、ずっと説得力のある隠し味だと思うのだ。

Last updated: Jan 27 2015