コラム No.10 ゲーム談義1

僕の趣味で模型製作に劣らないくらい大きなウェイトを占めているものにゲームがある。初めてゲームに触れたのは小学校2年生だったと記憶しているから、とても息の長い趣味だ。プラモデルに触れたのも同じような年頃だったはずなので、まさにプラモデルとテレビゲームは僕の中で双璧をなしていると言えるだろう。ゲームを自分の視点で語っていこうと思っているが、いわゆる攻略サイトのようなゲーム情報を掲載するということはしない、というかできない。その辺は攻略wikiでも参照してほしい。

ゲーム談義最初の一回目は、スマホ中心に盛況な様子のソーシャルゲームについて書こうと思う。ソーシャルゲーム、あるいはソシャゲ。なんとも不思議な響きだ。ソーシャルという言葉の持つ意味「社会的な」が何にかかっているのかがこのジャンルの重要なポイントになるわけだが、自分がいくつか体験してきたモノを見る限り、何らかの支援とか協力といった形でプレイヤー同士が繋がるといった形がほとんどだろう。それに、コミュニティを形成できる仕組みがあればソーシャルゲームを名乗るらしい。

スマホという常日頃から持ち歩く機器で、ちょっとした空き時間を使ってできる。そして、プレイ方法もいたって簡単で画面上のボタンをポチポチするだけ。言ってみれば、そういうところがソシャゲのメリットな訳だが、そこに重要な要素が加わる。課金システムだ。ソシャゲは基本無料でプレイできるという形式が多いが、さらに有利に進めるには課金してアイテムなどを取得しなければならない。無課金プレイヤーと課金プレイヤーの差は圧倒的で、無課金プレイで何百時間頑張っても課金プレイヤーが短時間やっただけであっという間に置いていかれるくらいだ。そして、負けず嫌いは課金しだす。ひどいものだと一ヶ月数万円もつぎ込んで必死に背比べを展開している有様だ。

「自分は強い」という優越感を煽った上で、課金させるように巧みに誘導するゲームシステムがソシャゲのコアの部分になるわけだが、これが普及しまくった結果、様々な社会問題が生じたのは皆さんもご存知のことだろう。僕個人はそうした社会問題云々よりも、ゲームが気軽にできる、時間は金で短縮するという方向性に向かってしまったことがとても残念に思う。

仕事で忙しい人間と、暇なニートや学生が使えるゲームの時間の差を埋められる課金システムが世間に認められ、かつゲームが金を振り込ませるためだけのシステムと化している。このことに対して、昔からゲームが大好きな僕はものすごく憤りを感じる。はっきり言って、ソシャゲはゲーム性がほとんどない。ボタンをポチッと押すとクエストやらのアクションが開始され、時間が経つと完了。成功報酬をもらえる。これを延々と繰り返すだけ。これのどこがゲームなのか。進むにしたがって、クエスト達成の時間と必要アイテムが俄然足りなくなり、先に進むには長大な時間が必要となるが、課金すればあっという間に解決する。こんな仕掛けで動いているソシャゲがほとんどだろう。

だが、これが面白いと世間で認められてしまったのだ。コンシューマゲーム機の新作ソフトが8,000円もあれば購入でき、ソシャゲなんかよりずっと綺麗で、派手で、物語があって、やりがいがあるのに、月に数万円もスマホぽちぽちゲームも課金する事が普通の世の中になってしまったのだ。

この結果、ゲームコンテンツはソーシャルゲームのシェアが増大し、ほんの少しだけ絵を変えただけの似たような代物が大量生産されることになった。課金効率が悪ければあっさりサービス終了。そして新たなソーシャルゲームで課金を促す。僕にとっては到底受け入れがたい流れが世間では受け入れられたというわけだ。

僕も一応、幾つかのソーシャルゲームをプレイしている。もちろん、無課金なので課金プレイヤーからするとただのカモか、優越感を感じることができる雑魚の一匹に過ぎないわけだが。一応、手軽に短時間だけでもプレイできるスマホゲームというものは評価しているのですよ。通勤時間のわずかな間とかにやれるっていうのは、息抜きとしてそれなりに楽しいし。でも、これを主流だとでかい顔されると無性に腹が立つのです。ゲームですらないくせに何を言うかと。

そして、もう一つ。本当の名作と呼ばれるゲームを創った社長はそのゲームの世界にフォーカスが当たる。ソーシャルゲームで成功した社長はいかに効率的に金を稼いだかがフォーカスされる。

Last updated: Feb. 10 2016